おおくま学!?大学生が大熊町で学び問う学問とは!?


こんにちは

おおくま宣伝チームの福島市出身佐藤元泰です。


大熊町に関心のある皆さん。

毎年、5月あたりに福島市にある福島大学の学生の方たちが大熊町を見学に来てくださっているのはご存じですか?

今回は皆さん同行させてもらい、担当の先生に「なぜ?」福島大学の学生たちが大熊町を訪れているのかインタビューさせて頂きました!!



佐藤:

福島大学さんの復興知事業とは何ですか?


先生:

復興知事業とは(公財)福島イノベーション・コースト構想推進機構が実施する『大学等の「復興知」を活用した人材育成基盤構築事業』です。詳しくは機構HPに記載がありますので、ぜひご覧ください。

特に福島大学では、大熊町・川内村・南相馬市・飯舘村と連携協定を結び、農業(食農学類)と地域コミュニティ再生(ふくしま未来学)の2つの分野で、浜通りの復興を担う人材育成に取り組んでいます。



佐藤:

学生さんの被災地や復興に対する興味関心の度合いは、年々変化しているのでしょうか?また被災地のどういった部分に関心を抱いてくれているのでしょうか?


先生:

実は、我々教員も驚いていますが、震災から13年経っても学生の関心興味は低下せず、今も意欲の高い学生が多い印象です。県外出身者はもちろん、県内の中通り・会津出身の学生からも、「福島のことを何も知らないから、進学を機にきちんと学びたい」といった声が今でも聞かれます。また、生まれは浜通りであるものの、幼少期に県外などに避難した学生も少なからずおり、「自分の生まれた地域である浜通りについて知りたい」という声があるのも印象的でした。

関心としては、福島大学はそもそも学校教員や行政職員を多く輩出している大学ですので、「福島の教員として震災や福島、身を守る術について子どもに語れるようになりたい」「行政職として復興や地域づくりに関わりたい」といった関心が最も高いように見られます。



佐藤:

現地へ赴いてくれた学生さんにどのようなことを伝えていますか?


先生:

もちろん第一には震災について関心を持ち、きちんと学んでほしいと話しています。先日プレスリリースもしたのですが、残念ながら年々学生の知識は低下している状況です。

また第二に、今後も長く続く福島・浜通りの復興に加わる仲間になってほしいとも思っています。ただ、大人の責任である震災・復興に学生を巻き込むのは申し訳なさもありますので、私としては「(浜通りに限らず)自分の地域に関心を持ってほしい」と伝えています。福島から学んだことを生かして、それぞれの地域で少しずつでも社会を良くしてほしいとの思いです。



佐藤:

学生さんからもバスの中で「復興とは移住者を増やすことなのですか?」と質問があったのですが、私も正直、復興支援員として日々ゴールの見えないチャレンジをしている感じで悪戦苦闘中です。被災地の復興のゴールとはどのようなカタチをイメージされておられますか?」


先生:

これはとても難しい質問ですね。毎年、学生からも聞かれますが、教員も誰一人として答えを持っていません。私も様々にイメージするところではありますが、あえて1つ挙げるとすれば、「震災が福島の一部になる」ことがゴールの一要素かもしれません。

例えば、福島とよく比較される広島は「被爆地」ですが、他にも広島風お好み焼きや厳島神社、さらにはカープなど、「広島と言えば〇〇」が原爆以外にもたくさんあるかと思います。大熊にも梨やキウイ、浜通りには鮭や野馬追、またはハワイアンズや白水阿弥陀堂などたくさんのものがありますが、現状は「震災から復活した〇〇」など、必ず震災と紐づけて語られてしまうように感じています。

もちろん震災も福島を形成する大事な要素なのですが、福島の全部を震災で語られてしまうことなく、震災が福島の一部になることが復興の1つのゴールかなと私は考えています。


先生、とても勉強になるお話をありがとうございました!

大熊町に来て、肌で感じ、匂いを感じ、耳で傾聴し、刮目することによって、震災後も生き生きと育つ自然の偉大さ、故郷を思う人の優しい気持ち、未来を信じる人たちのエネルギーを知ることが出来る。

これを読んでくださっているあなたも是非!!おおくま学を研究しにお越しください!

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