今いる子どもたちと大人になって戻ってきた子どもたちのこと


今いる子どもたち

学び舎ゆめの森の子どもたちが、私の横を通り抜けて笑いながら走って学校に向かう。

まだ学校が始まるまではだいぶ早い時間。走る必要はないのだけど女の子たちは楽しそうに走っていた。そして氷の張った水たまりを見つけると、そっと爪先で踏んで氷が割れるとまたクスクスと楽しそうに笑いあっている。


その先の学校の前の横断歩道には、毎朝教育長が立っていて、いつも笑顔で子どもたちを見守っている。



あの時子どもだった若者たち

震災の時小学6年生だった片岡くんは、今は公社で働いている。最近釣りにハマっていてこないだはとても立派なカレイを釣ってきて、器用に捌いてお刺身にしてくれた。


片岡くんと同い歳の武内くんは、昼間は別の仕事をしながら、夜だけ開く素敵な本屋さんを営んでいる。(とても素敵な本屋さんなのでみなさんぜひ行ってほしい。)武内くんは、片岡くんのことを「生き別れの同級生」と呼んでいる。てっきり幼馴染なのだと思っていたらそうではなくて、別々の小学校に通っていたのでお互いのことは、去年出会うまで知らなかったのだと聞いて驚いた。


震災前の大熊町には、大野小学校と熊町小学校の2つの小学校があって、中学校はひとつだけだったのでみんな大熊中学校に通っていたのだそうだ。本当だったらそこで会えたはずなのに、ということらしい。由来は詳しく聞いてないので私の想像が入っている。今度詳しく聞いてみようと思う。武内くんは詩人でもあるのでなかなか素敵なネーミングだ。

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大熊町のこと

私は移住者なので、大熊町のことをまだあまり知らない。


海に面している大熊町は、13年前の東日本大地震で予想を超える大きな津波に襲われてそれで命を失った人もいる。そして、安全だと信じていた原発で事故が起きてしまって、町は全町避難を余儀なくされた。

町の人たちはみんな、2、3日で帰れるだろうと思って避難したのだそうだ。そのまま戻って来れなかった人や、今も戻りたくても戻れない人がたくさんいる。


3年前に町の一部は避難が解除されて、今は少しずつ人が戻ってきたり、新しい人が移り住んだりしている。



つづきの始まり

あの時小学4年生で今は役場職員になった女の子たちもいる。彼女たちも小学校は別々で、避難した先も違う場所。
「私たち会えなかったね」
「今ここで会えたけどね」
といって笑った。
彼女たちの新しい大熊町のつづきの物語も始まっている。

片岡くんのことを記事に書いてもいいですかと訊ねたら、最初はなんだか恥ずかしがってもごもご言っていたのだけど突然「大熊町サイコーです!」とちょっと大きな声で叫んだ。うん、それを書けばいいんだねと勝手に私は理解した。

きっとこの町のいろんなサイコーのカタチが、それぞれの胸の中にある。それはこの町でずっと続いている。あの日からも、もっとずっとずっと昔からも、そしてこれからも続く。

最後は片岡くんから送られてきた穴子の写真。


コメント

まあちゃんファン さんの投稿…

以前は「本の町」とも言われていたとのこと。
内外に誇れる学校。子どもたちが少しずつ増えている町。
まさに「大熊町サイコー!」です。

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