おおがわら会新会長山本千代子さんに聞く「地域への思い」①


はじめまして。

おおくま宣伝チームの加賀谷環です。

大川原地区で生活を始めて、ちょうど4年が経ちました。



千葉県出身の私が大川原地区で心掛けたことは、地域の方々との触れ合いでした。

移住して1年半後に震災後初の町民コミュニティ団体となる「おおがわら会」が住民有志により設立されました。会は年数回のイベントを通して住民同士の交流を図っており、会合に出席するたびに知り合いが増えていきました。


今回、会の事務局員でもある私が、設立当時のメンバーで2024年4月から2代目の会長に就く山本千代子さんに、会設立の経緯や変化していく大熊町の中で今後どのように会を運営していくかなどについて尋ね、その内容を2回に分けて紹介します。町民になって50年近く経つ山本さんは、帰還してからの住民同士のコミュニケーション不足が同会設立の動機になったと話します。



◆帰還とおおがわら会の立ち上げ

山本さんは北海道赤平市出身。縁あって大熊町に嫁ぎ、1976年から夫と共に大野地区で飲食店を経営してきました。「震災が起きるまで、亡くなった主人と商売を35年間続けた町であり、笑いも涙も詰まった土地なんです。」そう語る言葉からは、ふるさと大熊町に対する思いが伝わってきます。



2019年、新たに整備された大川原地区に帰還した当初は「知らない人がいっぱいいる」と感じたそうです。会津若松市に避難していた頃の仮設住宅では行政区ごとにまとまって住んでいたので、顔見知りが多かったといいます。



「大川原の災害公営住宅は1期50棟がすぐにいっぱいに。しかし、おはようございます、こんにちは、のあいさつを交わすことが少なかった。笑顔のあいさつが必要だと感じました」。そこで住民たちのコミュニケーションを図ろうと一計を案じ、個人的にバーベキューの会を開くと、毎回15人ほどが集まってくれたといいます。しかし、「少しずつ輪が広がっていく」と喜んだのもつかの間、新型コロナウイルスが流行してしまいます。

一時、自治会の設立を模索する動きもありましたが、あえなく頓挫。その後、コミュニティ団体の必要性を感じる同じような思いの住民たちと出会い、2021年10月、「おおがわら会」の設立に至りました。


次回は◆おおがわら会の2024年度の運営◆今後の運営に懸ける思い―について聞きます。



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