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失って気づく
大熊に移住してきて間もなく9ヶ月。町のいろんなものが見えてきている宣伝チームの常世田(トコヨダ)です。
さて、東京・山手線内側の面積は63㎢で、ニューヨークのマンハッタン島(58.8㎢)の広さを上回っています。大熊町の面積はそれよりも広い78.7㎢で、ここに震災前は11,505人の町民が暮らしていました。
これを人口密度で比較してみると山手線内側は15,873人/㎢。大熊町の146人/㎢に対して実に100倍以上の差があることが分かります。裏を返せば、大熊町民の土地占有面積は東京都民の100倍以上になりますから、日常生活において「人混み」も「満員電車」も「渋滞」も経験しなくて済んでいたワケです。
2011年3月12日早朝、突如言い渡された避難指示。大多数の町民が数日で帰宅できるものと考えておられましたが、その期待は大きく裏切られることになりました。
長期間ふるさとに帰れないとなったとき、多くの町民が初めて「何気ない日常こそが、かけがえのないもの」であったことに気づいたと言います。意味はちょっと異なりますが『孝行のしたい時分に親はなし』といったニュアンスだったと思います。
私は大熊に移住してきた瞬間から、自然の豊かさ・人の少なさに魅了されています。震災前のように地元の産品を味わうには至っていませんが、のんびりできる環境に大変満足しています。
東京で何十年もあくせく働いていた時代、確かに生活の利便性や経済面では満たされていたかも知れません。しかしそれが本当の幸せだったのかと自問自答してみると頭の中が疑問符で溢れ返ります。
ゴールデンウィークや盆・正月の帰省ラッシュ。高速道路には大渋滞が発生し、飛行機や新幹線は超満員になるのを承知していても「ふるさと」へ帰ろうとする日本国民。ふるさとに帰っても実家でゴロゴロしてしまうのは、それが一番大切なことなんだと潜在意識に刷り込まれているからでしょう。
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