使命感


 大熊町に越してきて1年。人生で初めて、理想の『ワークライフバランス』をゲットできたと、喜びを隠せない宣伝チームの常世田(トコヨダ)です。


 さて、私たち日本人は憲法第22条によって「居住・移転の自由」が認められています。どこに住むか/どこに行くかは、個人の自由裁量で決めることができるという権利です。引越し(移住)だけでなく、旅行の自由もこれに含まれています。

 ところが、原発事故の影響により県内12市町村では、原子力災害対策特別措置法の下、居住区域からの立退き(避難)指示を受けました。このうち半数の自治体では全ての区域で避難指示は解除されましたが、大熊町ほか5町村には今も『帰還困難区域』が残されています。住む場所を自由に選べる国でありながら、「住んではならない」と強制的な指示を受け続けている地域が、本県浜通りに存在しています。




 帰還困難区域には、一般人はもちろん地元住民でも自由に立ち入ることができません。同区域はバリケードにより防護措置が敷かれていて、墓参などを目的に住民が一時立入りを希望する場合であっても、事前申請のうえ通行証の交付を受けなければなりません。

 日本広しといえど、こうしたバリケードを見られるのはこの地域だけです。帰りたくても帰れない、住みたくても住めない、墓参りするにも煩雑な手続きを求められるといった状況が、震災後13年を過ぎた今でも続いているのです。



 でもこのバリケードがあるからこそ、大熊町を訪れ、見て・聴いて・考えてくださる方々がいらっしゃるんだと思います。大熊町の復興のためにと、ここで一緒に働いてくれる人も増えてきました。

 自宅に居ながら紛争地域のニュースに接することができるのも、現地に赴き、命懸けで取材するジャーナリストがいればこそです。また、医療支援や人道支援の目的で現地入りするボランティアも多くいると聞いてます。いくら憲法で「居住・移転の自由」が認められている日本人でも、好き好んで紛争地に出かける人はいません。同様に、スーパーも無ければファーストフードやコーヒーチェーンも無い大熊町に「住みたい」と思う人はごく少数なのではないでしょうか?

 もしかしたら、大熊町の復興に携わってくれている人たちには、紛争地で活動を続ける支援者のような、そんな【使命感】があるのかも知れません。



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