福栃橋じゃねーのか?


 

 実家と呼べる場所は既になく、東京の家も数年前に手放してしまったので、年末年始といえども「帰省」する先がない宣伝チームの常世田(トコヨダ)です。

 そんなワケで私は、自身のアイデンティティを「移住者」から「大熊町民」に移行している最中です。もちろん「福島県民」としての自意識も高めつつあります。




 さて、国道4号線を南下して福島・栃木の県境まで行くと、そこで「栃福橋」という名前の橋を渡ることになります。福島県民からすると「福栃橋じゃねーか!」と腹立たしく思うのですが、実は地名には『京都に近い方が上位』という暗黙のルールが存在します。

 どういうことかと言うと京都に近い方から「越前・越中・越後」「備前・備中・備後」のように名付ける法則がありました。栃木の方が福島よりも京都に近いため、たぶん栃福橋と命名されたんだと思います。



 と、ここまで書いて思い出したのが「くじら橋」という昔話です。

 むかし、隣り合って共に栄えた二つの町がありました。その名は「京町」と「魚町」。しかし両町の間には川が流れ、しかも橋は架かっていませんでした。そのため二町間を往来するには、かなり遠回りしなければなりませんでした。

 ようやく両町民の念願叶い橋は出来上がったのですが、今度は橋の名前を決めるのに大きな騒動となってしまいます。京町の住民は当然のように「京橋だ」と主張するし、魚町の住民は「魚橋だ」と言い張るのです。

 両町民がそう言い争っているところへある日、旅の僧侶が通りかかりポツンと一言こう言いました。「ならば『くじら(鯨)橋』にしたらよかろう」と。そう、魚へんに京と書いて【鯨】ですからね…。



 個々の立場におけるつまらぬ意地(プライド?)の張り合い。これは本当に面倒なものです。例えば「平成の大合併」です。本県においては、それまで90あった市町村が一気に59へと減少しました。その際「新しい自治体名をどうするか、役場本庁はどこに置くか、首長はどの自治体から出すか」など、すったもんだあったと聞きます。またこうした中、吸収合併された自治体では、かつての町村名を失ったところもありました。




 大熊町の誕生は1954年(昭和29)。双葉郡の「大野村」と「熊町村」が合併して町制移行した自治体です。両村の頭文字をとって【大熊】としたそうですから「くじら橋」の逸話とよく似ています。

 「IQよりもEQの時代」と言われて久しいですが、現代社会はこうした柔軟性を強く求めています。地方創生(まちづくり)に際しても柔軟性は不可欠でしょうから、「他所でもやってるから」的な、横並び意識は排除していかなければなりません。

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