大熊町の先人たち(佐藤次男さん編)

 


こんにちは。なんちゃんです。

 先人たちシリーズ3回目。農業の達人である新妻さん老舗飲食店レインボーのマスターに続き、紹介するのは大川原の町営住宅にお住いの佐藤次男(つぎお)さんだ。

次男さんは、奥さんの和子さんと二人で大川原の町営住宅にお住まいの元気なおじいちゃん。(ふらっと会うと、小走りで駆け寄ってくるくらいに元気。本当に75歳?)



次男さんと出会ったのは、町内の何かのイベントで「なんか元気なおじいちゃんがいるなー」と、見かけたのがきっかけだ。その後、実は家から徒歩1分のご近所の方だったことが判明し、あれよあれよという間に仲良くなった。(説明すると長くなるので割愛…)


次男さんは、もともとは千葉県の松戸市出身(奥さんの和子さんは大熊町出身)。15歳から27歳まで左官の仕事(壁を塗ったりタイルを貼ったりしたらしい)を茨城でしていた。その後、和子さんとの結婚を機に大熊町に移り住み、初めの2年ほどは左官の仕事をしていたが、福島第一原子力発電所の配管作業の仕事に転職した。震災当時まで30年ほど原子力発電所の1~4号機の配管作業をしていたそう。

「人生の3分の2が大熊町での暮らしだから、大熊町が自分のふるさとだ。静かで落ち着く」と語る次男さん。大熊町に来た当初は「カエルが鳴いていて、松戸市に比べると田舎の印象だった」とのこと。奥さんの和子さんが、タラの芽やウドの天ぷらを料理でふるまった際には「俺の給料が少ないから、こんな葉っぱを食わせてんのか?」と、思ったそうだ(笑)



現在の大熊町での暮らしを聞くと、「全体的に良い。ここに帰ってきたからこそ、(自分たちのことを)気にして顔を出してくれる人たちがいる。特に若者と触れ合うのが楽しい」と語る。「(自分は)人と話すのが好きで、特に若い人と話すと、自分も気持ちが若返るような気がする」と、人との交流の楽しさを語る姿をよく目にする。ニコニコしながらご近所の人たちや私の友達と交流する次男さんの様子は本当に楽しそうだ。そんな次男さんと知り合えて、仲良くなれてよかったな、と思える。



次男さんは、イベント参加のお誘いや、「○○に、いってみようよ!」と、お誘いをすると、気軽にいろんなところについてきたり、飛び込んだりしてくださるところがすごい。(もちろん、初めて行く場所や初めて会う人への不安もあると思うが)ちょっと会話をしたら、「今度飲もうな!うちでBBQやろう!」と、すぐに人と打ち解けている。試しにOIC(大熊インキュベーションセンター・旧大野小学校)に連れて行ってみた。移住した人に「うちでBBQするからきなー!」と、知り合った人にポンポン声を掛けていて面白かった。(OICに行った日は、急遽大川原でBBQをすることになった(笑)移住してきた人と、次男さんだけでなくご近所の方々も混ざり、プチ異世代大熊交流会のようになった)



こんな風に新しく大熊町に加わった人たちを、受け入れて積極的に交流する次男さんは懐が広く、世代が全く違う自分から見ると、とてもありがたい存在だ。(もちろん奥さんの和子さんも♡)こういった先人の方々の存在が、大熊町がよく『あたたかい町』と形容される根幹にあると強く感じた。自分もそのマインドを受け継いで大熊町がよりよい町に、よりよい地元になっていけるように見習いたいと思う。…と、いうわけでこれからも次男さんとはたくさん飲むぞ!!!



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